未知草純情日記
ここはゆきのふるさと、悲しみや苦しみはありません。
あるのは、優しさ、思いやり、感謝、謙虚、愛、夢、希望、友情です。
住んでいるのは、雪だるまやサンタクロースや夢羅人です。
でも、夏でも幸yukiが降ることがあります。
でも,だれもそれを恨んではいません。
それは、神さまからの贈り物だからです。
それは、あなたと私とこの地を結ぶ白い絆だからです

        

令和6年2月11日 日曜日
気が付けば2月、気が付けば令和6年
コロナが弱体化してみても時代は、ますます閉塞感が増し複雑な社会そして人間関係
自分が歳をとったせいなのか、それも分からない。
相変わらず、地震は世界中でおき戦争は終わるどころかその憎しみの連鎖は広がる一方だ。
同時に、温暖化は進み人間の栄華は自身の力で世界を破滅へ突き進めている。
情報化社会は、世界を小さくするとともに小さなミスも大きなミスへと拡大し、自身を生きづらくしている。
そんな顕微鏡社会で、おおざっぱないまどきの祭りは果たしてやり きることができるのだろうか。
人は、ミスや事故を許すことができるのだろうか。 昨年春、わが社に何年ぶりかに新入社員が入った。それはもう、同じ 日本人ではなかった。時代とともに移り行く人の心、よくぞ歴史を 繋ぐまつりは生きて来られたものだ。
果たして今年、その歴史に一年付け加えることができるか。

令和5年2月26日 日曜日
前回の書き込みは、ちょうど2年前になる。
コロナまっただ中であった。今ようやく長いトンネルから抜け出そうと している。まさか、出口寸前での後戻りはないと思いたいが。
コロナ禍で、たぶん大きなものを失ったはずだ。 そのひとつが、地域の会話だ。ほとんどの宴会が中止になり仲間との 繋がりが寸断された。酒を飲まなくても、集まることはできたが、酒は 人を集結させるごきぶりほいほいみたいなもの。
コロナが去り、果たしてコロナ禍前のような人の流れが復活できるのだろうか。 わざわざ、外の出てまで酒を飲まなくてもいいと脳が判断しそうだ。 それは、祭りやイベント、行事にも当てはまる。
集団でなりたっていた社会が、ますます個が楽ちんな社会を知って しまった。
今年夏、あの祭りはあの情熱は復活できるのだろうか。 日本の不景気は、人口の減少が根底にあると池上彰氏は言っていた。 今の日本は、60歳以上の老人クラブだ。 やはり、青年団が主役になって地域や日本を動かさない限り先は見えてこない。 もう、コロナにせいにしてのめしこきはできない。

令和3年2月23日 火曜日
いつの間にか、年は令和の3年だ。 昨シーズンは、ほぼ無雪状態。
一転して、今シーズンは12月から大雪に見舞われている。
それに、世界中がコロナ禍で人類は青息吐息。
政治も、安倍政権から菅政権に代わったが、なかなか庶民とは相変わらず かけ離れている。
自分はと言えば、定年を過ぎて二年目ももう終わろうとしている。
世界中が、深い霧に覆われてそこから脱することにもがき 苦しんでいる。 いままでの勝手放題のつけが、ここにきて一気に噴出した。 温暖化もその最たるもので、その解決こそが人類の未来が見えてくると いうものである。
新型コロナウイルスも、人類への警告、戒めなのかもしれない。 蜜は、疎をつくり勝ち組負け組をつくりだした。 コロナ禍から学ぶことも多いはずだ。
東京オリンピックの誘致の是非は、今議論してもしかたないかも しれないが、人の思い上がりや傲慢が今日の結果なのではないか。 中学、高校を卒業して故郷を去って行った多くの仲間。 今、残った者残された者は、風前の灯のごとくの状態まで来ている。 国からの補助金だのみの農政や自治活動。 もう、ろうそくの灯りは消える寸前にまできているのに、依然だれも 直視しない。春と冬が行ったり来たりの中でどこかに光が見えて くるのだろうか。
斉藤 豊氏は、高いところから見ているに違いない。 ぜひ、エールを送ってほしい。迷える子羊たちに、迷走する人類に!


令和1年8月23日 金曜日
スマホをばかにして、長年ガラ系でくらしてきたが4月にスマホにした。 大きいし、ポケットに簡単に入らないし現場には確かに不向きで 気に入らなかった。お盆前までは、それがラインの楽しさを覚えたら 病みつきになってきた。それもグループが面白い。昨日の新潟日報の社説にも 自分と全く同じ意見で掲載されたいた。故郷を離れた仲間との通信に、 もって来いである。どこまで、続けられるか分からないが楽しく愉快に やりたいものだ。




令和1年8月9日 金曜日
ついに前日までやってきた。毎年この日は緊張の夜である。 漏れ落ちはないか、忘れ物はないか、不安でいっぱいになる。 今日、坊ケ池でみた茜雲は最高の景色であった。 どうか、明日一日無事に坊太郎と楽しい日を過ごせることを願って眠る ことにしよう。





平成31年3月24日 日曜日
気が付けば、冬が終わっていた。 気が付けば、雪がなくなっていた。 気が付けば、定年の年になっていた。 気が付けば、大切な人をなくしていた。 人は、何のために生きるのか。 若い頃だれしも悩むことが、60歳になって再び思うようになった。 仕事だけの人生も、つまらないような気もするが だらだらしていてもそれもまた、無駄に過ごしているような気もする。 とりあえず、お金がなくては生活ができない。 使ってくれるところがあれば、頑張るだけ頑張るしかない。 斉藤さんは、頑張っている最中に、逝ってしまった。 先輩であり、友人であり、兄貴であり、師匠であり、すべてを丸く 包んでくれていた。もう、紅白歌合戦にあの歌を聴くことはできない。 「一番下手なもん順でいこう。」「じゃ、おれだねか。」 いつも、笑顔で場を作っていてくれた。 あなたが守っていてくれたからこそ、私たちは自由にできた。 私には、その度量がありません。 どうか、高いところから私たちを見守っていてください。 いま私たちは、皆深い悲しみの中にいます。 それが、いずれ楽しかった思い出話ができるよう、みんなで力合わせて やっていこうと思っています。 また、いつか会いましょう。





平成30年8月15日 水曜日
その雨は、上越一円に恵みの雨となった。第1回目と同じである。 天気予報は、じきに晴れるとなっていたが、それは我々の心を試すに 十分な量と時間であった。しかし、このピンチをみんなの創意と工夫で 乗り切った。そして、この雨はいまでかつてなかったチームワークを 育んだ気がする。18年まで来た。たがが18年それでも18年。 自身いつまでできるのか、そしてこの先後継者は育つのか。若者が、いなく なるのはもうすでに現実的に分っている。数年は、凌げるとしても その先はない。一極集中的手法では、先はない。地方創生も、 どこかか元気がなくなった。とにかく種をまこう。枯れる種もあるで あろうが、100粒のうち1粒でもいい。100粒でダメなら 1000粒まこう。一人でまききれなけば二人でまこう。二人でだめ なら三人で。



平成30年5月14日 月曜日
ゴールデンウィークも終え、その次の連休も終えいよいよ戦闘 モード突入だ。
坊太郎まつりも仕事も田んぼも同時に忙しくなる。
蛙が鳴いている。今年は、暑さと寒さがいつもの年より極端だ。 いまでも、冬と夏が同居している。
リンが来て9ケ月あまりたつ。身体も大きなって倍近い。男の子だけあってか 元気がいい。この9ケ月は、リンちゃん中心の生活で、飲み会も減った ような気がする。命には、小さいも大きいもない。それぞれが、それぞれの立場で 精一杯生きている。動物も植物も、子犬も野良猫も道端に咲く名も知れ ぬ花も、みんなみんな。それを、教えてくれたのがリンだった。 テレビで毎日で報道される事件、事故の多さに命の尊さが 失われいく。リンの一生懸命さは、命の大切さ、重さをこころで教えて もらった気がする。


平29年12月3日 日曜日
いつの間にか、師走12月になっている。
いつのまにか、還暦を迎える歳になっている。
時間が移り過ぎ行くことを、その途中で感じることはできないが、 過ぎてみて初めて実感できるのだ。
今年我が家に、一匹の子犬がやってきた。野良犬が、勝手に迷いこんだ訳ではない。 必要に迫られ、来てもらった大切な家族である。
名前は、「リン」。かわいくてしかたない。寒くなってきたころから、いっしょの ふとんで寝ている。昨日から左肩が痛くて、手を上げられなくなった。 ついに自分も五十肩かと思ったが、どうやら寝ているときにリンを かばって左肩を何日も下にしていたせいらしい。
初めて子どもができた、いや孫ができた感じだ。
今は、どこに行くにもいっしょ。 この先、お互いどんな人生が待っているか分からないが、平和で 穏やかな日々を過ごしたい。



平成28年9月12日 月曜日
今年も、祭りの反省会が終わった。
ひと月ぶりにいつもの顔が揃う。苦楽を共にした面々だ。 16回目は、”まだ”と”もう”が交差する感覚だ。
山あり谷ありの16年間であったが、進歩しているのか後退している のか、ある意味だれも判断できない基準かもしれない。
歴代16名の坊太郎との出会いは、祭りの宝ものだ。坊太郎なくして、この 祭りはありえない。本当にありがとうございました。
歴代の数字が、どこまで繋がっていけるのか分からない。 ただ今は、心の灯を灯しながら無理をしないで続けることだ。 サンスポットでのサライの合唱が終わると今年の夏も終わりだ。


平成28年3月24日 木曜日
夜になって雨が雪になった。10時外をみれば屋根は、白くなっている。 まさか明日の朝は、除雪車が出ることはないと思うが、それもまた 楽しみだ。今シーズンは、とうとう雪下しをしないで終わった。 だからといって、決して楽な冬でもなかった。三ケ月にも及ぶ書類作成が 恐ろしく長かった。22日それもようやく終わり今は、解放された気分で いっぱいだ。それでも、もう次のミッションが待っている。 息つく暇もないが、それもありがたいということか。4月は、今年再びの 新年の幕開けだ。別れと出会いのこの時期は、胸キュンの時だ。 桜の歌は、東京では別れの歌。でもこの地では、出会いの歌。 そんな季節感も違う、大都会と大田舎。どっちが魅力的かは明白だが、 どっちが自分らしく生きられるかも明白だ。




平成27年12月27日 日曜日
朝から雪が降り出した。暖冬という言葉はいつもあてにならない。 夕方まで10cm積り、除雪車も出動だ。 こんな日は、まだ終わっていない年賀状書きが一番だ。 一人一人を思い出し、一年を振り返る。一人よがりの一年がまた終わ ろうとしている。いつまで、こんな日々を過ごすことができる のだろうか。 29日には、サマカニ最後の忘年会だ。いつものメンバーが集結し、 一年を語り合い、唄を歌い酒に酔いつぶれる。夢やロマンがなければ、 むなしい人生になる。しかし、それを追い続けることはむずかしい。 歳ともに、考え方も変化する。2001年から数えて16回来た。 どこまで、いけるのだろうか。どこまで行く必要があるのだろうか。 いい仲間といい酒を酌み交わす楽しさは、最高だ。 できるなら、もう少しだけ夢を見させてほしいものだ。 救世主が現れるまで。



平成27年10月28日 水曜日
悲しいこと、つらいことがある。
あの暑かったころが懐かしい。
一年365日、長いようで短い一年であるが、様々な出来事が 身近でおきる。
明日は我が身なのであるが、それがいつくるかは誰も分からない。
心の準備だけはしておく必要があるようだ。
季節が晩秋から初冬へと変わろうとしている。もう一月もすれば、雪の 名前も聞こえてくる。
雪は、そんな悲しみやつらさを和らげてくれたらありがたい。
夕暮れが早く、工事も最盛期のなか安全で最後まで完工したい。



平成27年2月1日 日曜日
ここ数日、人の命とはと考えさせられる日々であった。 人の命は、地球より重いと言われいるが、それは絶対的なものでは ないらしい。それは、ときに重く、ときに軽くその時の都合でどうに でも扱われている。 1回の空爆で何百、何千もの尊いはずの命が簡単に失われている。 自然災害でも、交通事故や病気でも人の思いとは関係なく大切なものが なくなってしまう。その一つ一つにそれぞれの人生があったはずだ。 この世の中にとって、一番大切な命を人は時に軽々しくぞんざいに扱う。 小さい時から人を殺してみたっかた。そんな事件も数ケ月の間で 2件もあった。 今朝後藤さん殺害の報道がでた。朗報は聞けなかった。結局は、日本人 二人とも亡くなった。日本国中が悲しみと怒りとその不条理さに つらくなっている。人は、自らの命を絶つ時さえある。 戦争は、命の奪い合いだ。儚い命に尊さの違いはどこにあるのだろうか。 湯川さんと後藤さんの取り扱い方は違っていた。好きで行った者と 義で行った者の違いなのか。 生まれてきた以上、誰しも死は免れない。もし、死が無駄でないと するなら亡くなってからが、人の重さに違いが出るのかもしれない。


平成26年12月31日 水曜日
今年も残すところ数時間になってしまった。 やり残したことは、沢山ありそうだがもう時間がない。 自分の能力のなさか、まだまだ自分への甘さのせいなのか 希望の到達点までは達していない。 60歳まではもう数年だ。この歳にしてまだ、自分改革をしなければと 思うこの頃だ。地に足を付け、空ばかり見ていないで、同時に自分の足元 を見ることも大切なことであった。天と地、光と影、それぞれに大切な もので、裏があるからこそ表があり、表があるから裏もなりたつ。 一歩広い心で物事を見渡したとき全く別の世界もみえてきそうだ。


平成26年8月17日 日曜日
雨とともにお盆が過ぎていく。雨とともに夏もすぎていく。 毎日のように、付き合わせた顔も今はない。 明日から現実の世界へと戻る。 毎年が同じように流れていく。進歩しているのか後退しているのか 分からない。それでも、毎年の楽しい日々は夏の思い出として積み重なっていく。 みんなまた会おう。坊太郎また会おう。ありがとう、さようなら夏の日。


平成26年8月9日 土曜日
今年もこの日が来た。昨日は豪雨であった。現在am3:30とりあえず雨は降って いない。 第1回目がそうだったように、坊太郎は再び我らに試練を与えた。 この試練を乗り越えてこそ、次のステップに上がられる。 昨日の準備は、まさにそんな雰囲気をつくっていた。だれしも文句を 言いたいはずなののに明日の天気を信じて黙々と作業を進めていた。 心がひとつになったきた。いよいよ出陣だ。まるで関ヶ原の戦場にでも いくような気分でもある。勝負は、am7:00に決着してしまうかも しれない。 さぁ、行こう。みんなの心を信じて、坊太郎のご加護を信じて。




平成26年3月21日 金曜日
今年は、雪が少ない分春が早いと思っていたが3月に入ってもなかなか 春めいた日が少ない。春分の日の今日も北日本は大荒れになると 天気予報は注意を促している。3月は、分かれの季節と言うが会社でも 家庭でもあまり人の出入りがなく関係はなさそうであるが、仕事でいうなら この年度末は一年間やってきた現場との別れがやって来る。 3月25日竣工検査が終われば今の現場ともお別れだ。 とりあえず定年まで5年この生活の繰り返しなのだろうか。 どんな組織でも人身と人心に変化がなければ、活性化はしない。 上が退き、下から入って組織は受け継がれる。 不景気と過疎化のどちらもこれらを受け入れる状態ではない。 新幹線がくる、上越は果たして潤うのだろうか。 東京オリンピックを行う。果たして日本は再び元気になるのだろうか。 やらないで後悔するより、やって失敗してもいい。 公共事業は、我々の生活の種だ。減らされれば減らされるほど 会社は、元気を失い存続も危ぶまれる。経済は、とにかく前へ前へと 進まなければ、生きていけないようだ。それは、まるでマグロが一生 泳ぎ続けなければいけないように。しかし、家電メーカーがその象徴の ように、携帯電話が普及しほぼ満タン状態になれば、スマートホンで 攻めてくる。 いったい何が便利かも良く分からないのに、その波に乗るしかなくなる。 テレビにしてもしかりである。地デジ地デジと騒ぎ立てアナログ放送を 無くした思ったら今度4K画面はもっときれいだとかいいだした。 とにかく必要より消費することで経済は動くものなのだろう。 その善し悪しは、二の次になる。そんな、マグロ経済は人に本当の 意味の幸せというものを奪ってしまうような気がする。 清里夏祭り、今年から人心一新をやろうとしているがそう簡単にはできる とも思えない。グラデーションが如く人の入れ替わりができれば ベストなのだろう。そして、あまりにも人が飛びつくような 刺激的なことを追い求めれば自らの命を絶つことにもなりかねない。 あせらず足元をみて、謙虚に爽やかに春のようなのどかさをもった 優しい祭りがいいな。



平25年12月31日 火曜日
平成25年も、残すところ10時間を切った。 一年の終わりは、即次の一年のスタートでもある。 忘年会は、安堵と慰労を新年会は緊張と計画目標みたいなものが どこかにあり、全く違った酒飲みになる。 でも、飲んでしまえばいつも一緒か。 来年こそは、良い年にしたいととよく言うが、じゃ今年は良くなかったと 言われればそんなこともないように思うが、人の欲は強い。 これで満足とはいかないのがこの世の中である。 歳を重ねるごとに、未知草も更新できないでいる。 忙しいのと年齢からくるものとネタ不足ともろもろが絡み合っている。 年の瀬で、雪が降る気配がないのはありがたいが、除雪請負会社は 大きな痛手でもある。誰かが笑えば誰かが泣くのも世の常。 幸福と不幸も背中合わせでもある。 とにかく、それをどう捉えるかは、自身の判断、能力でしかない。 いつも愚痴をこぼしてばかりでは、なかなか良い年であったなどというふうにはならない。 空腹が最大のごちそうの如く、感謝こそが最大の幸福への道なのであろう。 便利になればなるほど、幸福感は遠ざかっていくようだ。




平成25年9月1日 日曜日
歳を重ねるごとに、ホームページを更新できなくなった。 仕事量も増えているし、年齢からくる力の衰えもあるのだろう。 ようやく今日、雨のおかげで家にいる時間がとれた。 昨晩の清里夏祭り反省会の余韻と二日酔いと風邪が重なった微妙な気分だ。 反省会も終わってしまうと夏もおしまいという感じ。これから、秋から 冬にかけてが、我々の業界では一番つらく長い時期だ。 今年もまた、色んなドラマや事件があったがそれでも実行委員全員で ゴールにたどり着くことができた。30周年の節目の年、次世代へ引き継ぐ ための準備は、出来たような気がする。30年前に立ち上げた彼らの 時代がエピソード1、2001から新バージョンにしたのが エピソード2、そして、これから新たなる世代がこの祭りを最終章へ 完結してくれるエピソード3だ。サマーカーニバルから清里夏祭りへそして 新たなる祭りは、もっとイベント的なものから神へ近付く。 年に一度坊ヶ池からやってくる坊太郎のための祭りだ。 坊太郎を迎え、一緒に遊び、そして池に戻るまでの出し物、出店。 上越市善導寺まで池の水を運ぶ、櫛池地区だけの渡御から県道をくだり 寺町を目指す。神輿は、普通の形の神輿ではない龍神をかたどり その中に聖水を保管できる場所がある。 担ぎ手は、龍仁と呼ぶ。県道沿線には出店が立ち、地元の人たちが声援を 送る。7時に池を出た神輿隊はpm3時に善導寺入りをし、お参りする。 それは、坊太郎とお伴と一緒だ。そして、龍星号という山車に乗り、 一路清里の祭り会場を目指す。3時から開演している中へ夕方5時頃を めどに会場入りだ。そして、坊太郎からのメッセージと聖水の披露と 来場者全員への聖水の振る舞いだ。小さな紙コップでない。 樽から柄杓で汲みだし飲んでもらう。 坊太郎は、ラストまで会場で主役だ。一緒に遊び、一緒に酒を飲み、 一緒に笑う。最終の大花火が終わる。会場に再びライトが照らす。 しかし、それはメインステージ立つ坊太郎へのスポットライトだ。 坊太郎がラストメッセージを言う。そして、最後に会場全員で 合唱する。唄はサライだ。そして、ライトが再び消え再点灯そのときには 坊太郎はすでに池に帰っている。 会場の人たちは、再び会うことの楽しみを持って会場を去る。 エピソード3は、坊太郎聖水祭りだ。



平成25年5月11日 土曜日
桜が散り、山は芽吹き一番きれいな季節が来た。 しかし、今年の春は安定しない。未だに冬が来たり夏が来たりで 安定した春はどこかに行ってしまった。 雪解けとともに、頸城野中が活気に満ちている。 農作業に、お百姓さんは大忙しである。 それでも、一昔前にゴールデンウィークに田植えをしていた頃と違う分 気持ちは楽になった。 清里夏祭りも、30周年記念に向けて動きだしている。 エコステーションができる。坊太郎の衣装がオリジナルになる。 聖水神輿記念グッズができる。 しかし、どんなにお金をかけようがハートがない祭りは、盛り上がらない。 今年はどんなドラマが待っているのだろうか。 色んな人たちの想いが繋がり祭りが出来上がっていく。 小さくてもいい、暖かい祭りになればいい。


平成25年3月24日 日曜日
一週間経っても坊ヶ池の景色は全く変わっていなかった。それでも お彼岸も過ぎ、すっかり春めいてきた。平野部は、雪がなくなって 一週間ほど経ったか。 ここ清里区櫛池地区は、小竹橋を渡るとまだ雪景色の方が多い。 日当たりのいい法面は、地肌を出し春の予感を感じさせてくれる。 今年もまた、雪害という言葉が出始める頃だ。 東京はすでにお花見気分で、マスコミはこぞって報道しているが 地方では、そんな風景を冷めた目で見ているような気がする。 ここにきてやっと春の喜びを味わっている者との違いは、相当だ。 田んぼで餌をついばんでいた白鳥たちも春分の日を堺に北へと 帰っていった。 今年の日本の居心地はどうだったんだろう。 彼らにとって、第二の故郷は暖かく迎えてくれただろうか。 白鳥が去ると、時期にツバメたちがやってくる。 北の勇人と南の優人は、ここの夢羅に幸を運んでくれる。



平成25年2月17日 日曜日
2月もすでに後半に入った。確実に日が伸びて夕方5時を過ぎても 明るい。
今年の雪は、豪雪にはなっていないが我が家では、雪下ろしを4回行った。 個人的には、雪は嫌いではないが建設現場を預かる者としては、 結構困るし、降れば降るほど経費がかかる。しかし、同じ会社で路線除雪も請け負っているので 雪はある意味、お金が降ってきているのと同じことになる。 それも単純作業で、大きな金額が動く。上越の産業は、農業と建設業と 言っても過言ではない。雪が降って困るのは当然だが、この雪で生き 延びている人もいることも事実だ。それでもだしれも春を待ち望む 今日この頃だ。 昨日、清里夏祭りのメンバーで酒を飲んだ。 どうやら今年は30回記念の年らしい。 実行委員長は、それに向けて動き出した。30年前に、先輩方が 創めて30年の月日が経ったのか。一度挫折を味わった祭りだが2001年 それは蘇った。そして今、再び危機はやって来る気もする。 エピソード1が夢を追った有志が立ち上げ、エピソード2は 次の世代が引き継いだ。エピソード3を第三世代にうまく引き継ぐ ことができるのか。そして、先輩方が立ち上げた想い を伝えることができるのか。30年記念は、それを語り継ぐいいチャンスだ。



平成25年1月17日 木曜日
今年も、雪本番の時期を迎えた。 棚田の旧小学校で150cmほどである。 さすがに昨年より、少ない感はあるが小雪だとは思われない。 日々の雪との格闘は、冬そのものだ。 10cmに満たない雪に大都会は、大騒ぎであるが同じ日本国とは、到底 思われない。東京中心の日本社会は、気候的にも最も住みやすい 地域の一つに見える。 地方から全てを奪い取り、東京は裕福を手にしている。 そして、人はそれにまた憧れネズミ算式に増えていく。 それは、過疎に拍車がかかることに繋がっていく。 雪が降る静かなる夜は、愚痴をこぼさないではいられない。 太平洋側の晴天は、日本海側の天候なくしては、語れない。 太平洋側の大電力は、日本海側の大自然なくしては、語れない。 昨年秋、東京駅で平らなエスカレーターに乗ってみた。 東京のために、僕らは存在するのかと思われた。 雪が降る側に、生まれた。 過疎地に、生まれた。 産業が無いところに、生まれた。 引っ込み思案なところに、生まれた。 何のとりえのないところに、生まれた。 雪は、いったいどうなるのだろうか。 大自然の贈りものに、幸はあるのだろうか。



平成25年1月5日 土曜日
長い長いトンネルからようやく抜けそうな気配だ。 不景気になればなるほど、仕事量が多くなる。 昨年秋から暮れまでほとんど休み無状態、 忙しいのは、何よりと言われそうであるが、それは実益が伴っての 話である。 暑い暑いと言っていた夏そして、秋を感じることなく早い冬がやって きた。 本当に、四季がおかしくなっているのが顕著に分かる近頃だ。 土曜日に休めたのは、清里夏祭りまでだったような気がする。 11月にインターネットが繋がらなくなり久々の更新ではあるが、切羽詰まっての 更新はなかなかできるものではない。 今年は、どんな年になるのだろうか。 再び政権が交代し、時代は又動き始めた。 幸せは、所詮自分自身でしか掴むことはできない。 自身を高めることが、幸せの近道だ。 大きな山、長いトンネルを経験することがプラスになってくれればと願う。

平成24年10月15日 月曜日
秋が深まり、あの猛暑も忘れかけてしまう今日この頃だ。 ふた月もホームページを更新できずにいたら、昨日地元の 方からお叱りを受けた。ありがたいことでもある。 毎年、夏祭りが終わると12月末まで地獄の日々が待っている。 肉体的にも精神的にも、やばい日が続く。 だからひと段落つく冬が好きなのかもしれない。 これからは、もう少し頑張りますのでしげちゃんも頑張って下さい。


平成24年8月9日 木曜日
あっという間に祭りが終わった。 苦しく、切なくそして楽しく一日が過ぎた。 会社の軽トラを運転し、ふとみんなのことを想い浮かべると泪が頬を つたう。主役で目立つ者もいれば、縁の下で支えている人が いる。当然、そちらの方が多くいるおかげて全てが回っている。 毎年、毎年の繰り返しで12回が終わった。 12人の坊太郎も誕生した。 大成功でしたかと聞かれれば「そうです。」と言いたいが、 色んな想いが交錯して素直にはなれない。 この歩みをいつまで続ければいいのだろうか。 好きと使命感は、つらさと責任感で時に押しつぶされそうにもなる。 そんな気持ちなら、やめたら!どこからか聞こえてきそうだ。 あの大雪から抜け出し、真夏の猛暑でくたくたになり、 それでも、どちらも愛さずにはいられない。 我が家の前の歩道には5m近い雪があったはず。 そこの前を一年に一度、神輿隊が通過する。 大自然と人の営みが、一体となり時は流れる。


平成24年8月4日 土曜日
am3:10西の空上空には、満月を少し過ぎた大きな月がこうこうと 輝いている。東の空には、金星がひときわ輝きを増している。 今年で12回目、ようやく一巡したんだ。 第1回目は、2001年8月4日だ。当日の朝は、小雨で始まり午前中は大雨で も決行した。 こんな、天候での夜明けはめずらしい。 ここ何年も、心配な天候の夜明けであった。 いよいよ、長くて短い一日が始まる。 どんな、困難が待ち受けているのだろうか。 自分との戦い、自然との闘いだ。 担ぎ手は、果たして何人来てくれるのか。 坊太郎は大丈夫か。 不安は、つきないが、今年も人と人との 繋がりを大切に、下ってこよう。 これから竹切りスタートだ。 がんばろう!



平成24年6月28日 木曜日
夏至を過ぎた頃から梅雨らしい雰囲気は、なくなった。 まるで、北海道を思わせるような湿気がない晴天が続く今日この頃だ。 夜になれば家のまえの櫛池川では、蛍たちが優雅に舞う。 天候のおかげで稲も順調に育ち、雨も少しはほしいと願うのは 贅沢というものだろう。 会社の仕事と田んぼの仕事と夏祭りが重なりあい、時間だけが どんどん過ぎてゆく。 自分だけでは、どうしようもないことが増えてくるこの季節、 悩みの種は、いつも坊太郎探しだ。 毎年、7月末までずれ込む。最後は、神頼みなのだが、それが功を 奏してかは分からないが、なんとか11代目までたどりついた。 12代坊太郎は、どこで待っていてくれるのか。 不安80%と楽しみ20%のこの時期だ。



平成24年5月16日 水曜日
夜になると蛙たちの合唱が聞こえる今日この頃。 いつの間にか雪は消え、春が過ぎ初夏になっていた。 あの大雪も、ようやく姿を消した。 雪の話をする人は、いなくなった。 くびき野は、田植えに向けて大忙しの日々だ。 通年なら雪が消えると春がやってきた。しかし、今年は少し違うようだ。 春はやって来なかった。雪解けとともに来たのは、夏であった。 そして、その間に冬がときどき顔を出す。 あの穏やかな柔らかな春は来なかった。 寒いか暑いかのどちらかの季節感。 どこか違っている。 自然界がおかしいのか、人間界がおかしいのかよく分からない。 でも、日々のニュースで聞こえてくる内容は、どこか狂った季節にも 似ている。全然関係ない両者はどこかでつながっている気がしてならない。



平成24年4月11日 水曜日
日本青年館で受けた、マインドコントロールはいまだ解けていない。 それが、少なからず自分の人生に影響を与えている。 それは、あるときには楽しく、あるときにはつらく自分を歩ませてくれ た。 25年前の未知草純情日記には、このままでは清里村がなくなって しまうとなげている。そして、それは現実のものとなってしまった。 いい村を創ろうが青年団の合言葉であった。 青年期それを、マジに精一杯やったという自負は今でもある。 成功、失敗は神でしか分からないはず。 村から夢羅になった今、とんでもない馬鹿がいるからこそまだ望みが ある地域がそこにあるはず。 理想と現実のはざまで、これから先も人はもがき、悩む。 それは、真剣にこの地域を愛するゆえのもの。 25年後の私は、存在するのだろうか。 もしまだいて、この未知草純情日記を読んだらどう感じるのだろうか。 たぶん、何もおとなになっていない老人が53歳の自分を 嘆いているのだろう。 ありがとう25歳の自分。 そして、できたら会いましょう、78歳の自分。 また会う日まで。


平成24年4月10日 火曜日
現在の清里夏祭りの実行委員長は、青年団時代の後輩である。 清里夏祭りも、毎年同じようなメンバーでなんとかやりくりし、 当日を辛うじてこなしていく。 結果、祭りは予定どおり終わるのであるがそれを成功と評価するか 失敗と評価するか。それは、個々の考え方の違いで、180度 変わってしまう。その評価の判断の善し悪しは別問題として トップが失敗だと評価したら、その下で一生懸命に頑張ってきた 者は、どうとるかである。トップの表現でのしかたで、その組織は かなり左右されるに違いない。 トップが目指すもののハードルが高ければ高いほど、その下につく 者への負担は増すはずだ。理想と現実、情熱と義務、それらの 温度差が大きければ大きいほど組織が安定しない。 清里夏祭りで、実行委員長自ら大成功だなんて言うのは、 思い上がりも甚だしいと助言していた。 どうやら、その助言も正しいとは言えないようだ。


平成24年4月8日 日曜日
ふるさときゃらばんミュージカル「ザ・結婚」は当時の 最大の事業であった。役員数人で決め、清里中をまきこんでの 取り組みは、当時色んな波紋をよんだ。 行政側は反対であった。それを押し切り、各集落の 青年会長にある意味土下座して頼みこんだ。 ミュージカル自体は、村民の感動で終わり成功したように思えた。 しかし、未知草純情日記はそれを失敗であったと言っている。 団員の意見にも、どこか落ち込んだ様子が見え隠れする。 25年前から現在に時間が流れ、今の清里夏まつりはいったいどう なのだろうか。当時の純情日記と今の純情日記の内容は、何も 変わっていない。人は成長するものだろう? 失敗を糧に、進歩するものだろう? 自分に再び問いかけたい。 本当に失敗だったのかと。


平成24年4月6日 金曜日
今の自分と変わらない自分がそこにいた。 当時悩んでいたものと今悩んでいることが変わっていなかった。 青年団に変革を求めていたものと、サマーカーニバルに求めていたもの はまるで等しかった。そして、自分と人様の関係も一緒だった。 熱い変化を求め、そしてある意味上から目線で接していたのかもしれない。 聖水神輿は、11回行われた。 いまだに、成功なのか失敗なのか答えは出ていない。 二十数年経っても、進歩していなかった。 未知草純情日記2冊読み終え、自分の無力さに失望感いっぱいになった。


平成24年4月5日 木曜日
それは、組織に悩みもがく自分の姿であった。 今となっては、楽しかった思い出しかないのだけれど、 当時は、団員たちの意識の変革をそうとう 求めていた。全国青研での熱き想いをそのまま地域に ぶっつけていたのがよくわかる。 中には応援してくれていた人も相当いた。が冷めた目で見ていた人も 少なくはなかったのだ。 ある意味、上から目線でみんなに接してしたのかもしれない。 多くの役員は、20代前半の若者だ。男女問わず未知草に集まり、 語らいの場を作り出したかった。半分成功、半分失敗でもあった。 そして、個々の悩みごとがその未知草純情日記には 書かれている。今ならなんてことない悩みが、そのときは人生の 大問題の如く。でも、今も昔も変わっていないことがありあり 見えてきた。



平成24年4月4日 水曜日
記念すべき第1ページは、昭和60年6月3日から始まっていた。 今から、25年は過ぎている。清里村連合青年団副団長下鳥君の 「私が一番だ。」からスタートし、ラストは私が青年団を去る、 文字どおり断腸の思いが記されていた。 未知草純情日記3冊の内2冊がついに出てきた。 最初は、懐かしくノスタルジーに浸りながら読んでいたが、 途中からそんな気分は、一転した。



平成24年3月29日 木曜日
3月も残すところ後二日、しかし山間部では一向に雪は減って来ない。 ようやく今日は、春らしい天気になり暖かい一日であった。 この天気がしばらく続くかと思えば、来週は又冬型らしい。 真冬の大雪よりも、もっと深刻なのは雪が消えないことだ。 冬の雪は、除雪すれば生活ができる。でも春の残雪は、死活問題になる。 雪を幸と言えば、世間から大馬鹿野郎と言われても仕方ない。 冬に大雪になれば、春の訪れは比較的早く両者がうまくかみ合って、 人と自然は、良い関係を築いてきた。 しかし、今年の3月は冬が続いてしまった。 やがて来る桜の季節、雪の中での花見にもなるかもしれない。 春と秋がなくなったとずっと言ってきた。今年は、それが顕著に 出ているのかもしれない。 この寒さの分、一気に春を通り越し夏がくるのではないだろうか。 確かに、このままでは雪は相変わらず嫌われもので終わってしまう。 人は、人を好きになって結婚までやっとこぎつける。 この人と結婚してよかったなぁと当然新婚時代は思う。 それがいつの間にか、お互いの欠点、性格の不一致等不平不満が 芽をだしてくる。 でも、それも愛という名の絆でお互いの欠点を穴埋めし生きていくのが 夫婦だ。仮にどちらかが病に倒れて自分の生活の 足手まといになったとしたらどうだろう。 もっと言うなら、夫が殺人者になったらどうだろう。 自分やとりまきを考えれば当然離婚も視野に入ってくる。 それぞれの愛の大きさに限度が違ってくる。 大好きな雪が、自分の生活に支障きたすといって嫌いになる訳には ならないのだ。映画ある愛の詩でアリ・マッグローは言った。「愛とは、決して 後悔しないことよ。」それは雪と私の関係と同じなのである。 さようなら、雪。さようなら冬。また会う日まで。




平24年3月1日 木曜日
8月15日、今年も盆踊りの日がやってきた。 朝から、やぐらづくりや屋台の準備で忙しい。 セミは、暑さを何倍にも増幅させている。 「暑っくて、いやだなぁ!」祭りの準備に来る人来る人、 決まり文句のように口にする。 「あれ、嫌だったのは冬の寒さや雪だったんじゃないの?」 「夏も、暑さも嫌いなんだ。」 どこか悲しくなる。 夏の暑さは、最高だ。 特に、祭りでは暑ければ暑いほどいい。 好き嫌いの感情は、他人ではどうすることもできない。 持って生まれたものかもしれない。 こどもの頃、初雪はすっごくうれしかった。 ニュースをみていれば、都会のこどもたちも確かに喜んでいる。 こどもの純真さは、今も健在だ。 俺たちは、確かに雪を好きだった。 それが、気が付いてみたら憎しみにも似た感情がはびこっていた。 おとなになると言うことは、何かひとつ得る毎に何か大切なものを ひとつ捨てていくことなのだろうか。 雪が好き!それはおとなになれきれなかった50歳の初恋にも 似たプラトニックラブなのか。


平24年2月29日 水曜日
米は、生活の唯一の糧と言ってもいい。一円の得にもならない雪は、 米の真逆の存在だ。 多少のきつさも、生活のためとなれば苦にはならない。 雪もお金に繋がるとなると又気持ちががらりと変わる。 道路除雪請負業者は、大雪を期待しスキー場関係者は早い時期からの 降雪を望む。しかし、スキー場は雪が降りすぎた途端 アリガタ迷惑な存在になる。 損益分岐点が、雪の価値を決める。 除雪会社の社長は、雪が降って来るのを見てお札が降ってくるように 見えるという。 雪は、自分の都合で良い者悪者に簡単に変化する。 人の思いは、自分勝手な都合で判断するようにできているのだ。 でも、天の恵みで降ってくる雪は人のわがままと関係なく 降り続ける。来る日も来る日も。 大自然が起こす地震も津波も悪。 でもそれもこれも人の生活が大きく影響を受けるということに ほかならないからだ。 まったく当たり前のことなのだが、そういうことが世の常なのだ。 対岸の火事なら、悪者扱いにはならない。


平24年2月28日 火曜日
この雪国に住み、一生土と関わってきた昭和ひと桁世代の親たちは、 百姓を楽しいとは決して言わなかった。それなのに、彼らは稲作が 本当は大好きなのだ。 機械化が進む前から、牛や馬とともに農業をやってきた世代。 つらくきびしい作業であったはず。田んぼという職場しかない時代、 良いも悪いもない、だれも皆稲作しかなかったのだ。 二男二女は、都会へと旅立ったが、長男長女は残った。 雪深いこの地に。 彼らはなぜ、農業を楽しいと我々に言わなかったのだろうか。 自分たちは、苦しみを次世代に味わわせたくなかったからなのだろうか。 でも彼らは、この大地に根を下ろす百姓から離れられない。 それ以上にそのつらさよりもっと奥にあるものを愛してやまないのだ。 雪と農業とは全く違うものなのだが、どうもどこか似ていてしょうがない。 ただ、親たちはこの雪を決して愛してはいない。 それは、農業と違うところだ。


平24年2月27日 月曜日
大雪や豪雪は、いったいどのくらい降ればあてはまるのだろうか。 今年は、当然それに匹敵するには間違いないが、実は昨年も一昨年も 大雪と表現していた。 2m50cm以上だと大雪、3mだと豪雪。 たぶんそんな決まりごとはないはずだ。 戦国時代、あの謙信でさえ冬は、戦に出ずじっと越後で春を待って いたという。 私は、時代が進めば進むほど、便利になればなるほど 大雪になるような気がする。 それは、雪の多い少ないかは基準ではないのだ。 豊かになればなるほど、冬でも通常の季節と同じ生活を当たり前に 出来ると思っている。 それが支障きたすと同時にただの降雪も大雪に変身する。 雪国、高田も雪が降らない異常的気象にならない限り、 大雪はなくならない。 今の人の心からは、平年並みの降雪はない。 それは、幸せが隣に同居していても分からないのと同じである。


平24年2月26日 日曜日
長い冬もようやく終わりを告げようとしている。 一気に春は、やって来ないが春の調べがどこかしら 聞こえてきそうな今日この頃である。 それでも、久々に今日は一日雪、日中の除雪車も出ている。 悪の根源の雪は、この冬散々な目にあった。 テレビも新聞も日常会話も悪者雪、雪、雪。 何回雪下ろしした?があいさつがわりである。 我が家で確か7回であったと思う。 平成18年豪雪を上回るという今シーズンの雪は、また新たな歴史を つくった。雪の重みは、心のおもみ。 日本を貫く山脈は、明と暗を完璧に分ける。 大雪になって、雪の壁はあたりの音をかき消し、静かな夜を生む。


平24年1月22日 日曜日
もし平成23年3月11日pm2:46に帰られたらと願っている人は、 いったいどれくらい居られるのだろうか。 自分の勝手な判断で、尊いものを失ってしまって悔やんでいる人は、 この世に何人いるのだろうか。 事故を起こした人は、きっとその瞬間に戻れたらなと思うに違いない。 そして、自分の間違った判断を、やり直すことができたらと願う。 平成24年1月16日am9:20みんなで雪下ろしを終え屋根から降りようと 瓦屋根50cm程度の段差で転び一瞬身体が中を舞った。 降りたのは瓦が終わった角、1分ほど声がでない襲ってくる痛み、 我慢して地上にまで降りる。 それでも、まだ現実を認めたくなくスノーダンプを動かすが、 痛みで雪を乗せられない。 折ったのは肋骨2本3ヶ所らしい。 呼吸も何か不自然だ。 医者は、落ち着いていて大したケガでもなさそうな雰囲気。 どうやらひつ月近くじっとしていれば元に戻れそうだ。 たったこれだけの失敗なのに、どんどんどんどん後悔の念が膨らむ。 4人いたのに、なぜ自分だけが転んだのか。 帰りの通路なのになぜ雪を取ったのか。 自宅の雪下ろしのせいで疲れがたまっていたのか。 考えられば、考えるほど言い訳が増えていく。 もし、あの時に戻れたら絶対転ばない。 もし、あの時に戻れたら雪下ろしには参加しない。 もし、あの時に戻れたら先頭に立って雪下ろしはしない。 そして、思うのはひょっとして事故に遭遇した人は、 みんなそう思っているんではないか。 もし、その瞬間に戻れたなと。 何気ない生命は、自分の力で動いてはいない。 でも、それをはずみで失うのはあっけないようだ。 逆に、肋骨でなく背骨だったら今頃こうしてはいられない。 幸か不幸かは分からない。 ただ起こってしまったことを現実として受け止め 最善を尽くすことしかできない。 人類が自立したときから、この世に後悔過ちは星の数より多いはず。 骨の痛みは、心の痛みより柔らかい。



平23年12月30日 金曜日
気が付けば、今年もあと一日となっていた。 ここ2,3年は満足に未知草も更新できない状態になっている。 夏祭り終了とほぼ同時に、山ほどの仕事に全てが犠牲になる気がする。 一向に回復しない景気は、日本全体を闇に包んでいるようだ。 歳を取るごとに、年末らしさが消えていく。 明日は大晦日なのに、らしくない。 感受性が少しずつ消えていくのかもしれない。 来年こそは!と毎年思っても、自分を変えない限りそうそう思い通りの 年にはならいのだ。 今年の師走は、長く冬型が続き25日にはとうとう雪下ろしになった。 12月に行うのはめったにないのだが、どうやら長い厳しい冬になるのかも しれない。雪を幸と言っている以上、嘆いてばかりもいられないが、 過疎化が進む中、大雪は確かに老後の大きな課題になる。 どこの家庭でも、次世代がいなくなり個々に行う雪下ろし作業や その雪片づけ作業は、70代80代になってくれば無理になってくる。 自ずとと過疎化は拍車がかかってしまうのは、止めることは できないのだろうか。 新しい夢羅づくりを始めなければ、手遅れは目に見えている。 2011年は、試練の年だった。 2012年は、どうだろうか。 全ては、己から改革しなければ始まらない。


平23年8月16日 火曜日
今年のお盆も終わる。そして、一つ一つの祭りも終わってゆく。 夏の終盤を迎え、アブラゼミといっしょにミンミンゼミも残暑を 惜しむか如く鳴きはじめた。 夜のなれば、虫たちの声も聞こえ秋が、近くに聞こえてくる。 冬の終わりは、春。夏の終わりは秋。でも、その季節の変わり目の 感じ方はあまりにも違いすぎる。 冬の終わりには、春の喜びと感動が待っている。 夏の終わりは、どこか奈落の底に落ちるような寂しさがある。 夕方、ヒグラシの鳴き声でも聞けば尚の如くである。 祭りで出会った人たちは、たった一日の友もいれば、幼馴染もいる。 そんな夢のような宴から現実に戻る寂しさなのかもしれない。 子供の頃、夏休みが終わってしまう寂しさとあまり違いないのかも しれない。 一つ一つの祭りは、一人一人の裏方の支えで成り立っているのだ。 偶然に無事で終わるのではない。無事に終えるための 努力の結果なのだ。また来年に向け、新たなる一年が始まる。 楽しかった夏の思い出を心に仕舞いながら、再び会える楽しみを 糧にまた頑張ろう。



平23年8月6日 土曜日
今年も、ついにこの日がやってきた。 昨日の猛暑の不安が当たってしまった。 寝苦しい夜の中am1時過ぎから雨になっていた。 それでも、am3:00起床。雨の音は、小さかったが外に 出てみれば雨は降っている。遠くに一粒の星も見えている。 いったいどんな空模様なのか、漆黒の闇の中何も伺うことは できない。 私の精進の悪いせいで、本番を晴らすことができないのか、 自分を責める気持ちが芽生える。 雨が続くとしたら、いったいどんな神輿をやればいいのだろうか。 人様の安全と祭りの心意気が交差する。 第1回目もちょうどこんな感じであった。 前日の猛暑、夜の雨朝の小雨、そして決行。 水汲み時は、霧の中曇り、担ぎ出した頃から梨平までは大雨。 pmは晴れ。そして、祭りは大成功。 そんなストリーが再び再現できるのだろうか。 決行を決断する判断基準は、どこにもない。 私の想いと担ぎ手の心意気が合った瞬間それが可能になる。 中止となれば、いろんなところに迷惑がかかるのも事実だ。 あとは、運を坊太郎に任せるしかない。 只今am3:40雨の音は、消えた。 これから、竹きり作業が始まる。 決断の夜明けを迎える。どうか今日一日、 みんなと笑顔の一日でいられるよう祈らずにはいられない。


平23年5月26日 月曜日
確かひと月前は、まだ春の雪解けを楽しんでいた。 あんなにあった雪は、いつの間にかなくなり初夏の気配すら感ずる 今日この頃である。深山のブナもとっくに芽吹きが始まり、緑が 深まり白い部分もわずかになってしまった。 あの掘っても掘っても積もってしまう雪は、どこに消えたのか。 いつの間にか雪のことは、だれもが忘れたかのように暮らしている。 3月11日に襲った大地震は、人の心にも大きな揺さぶりとなり襲ってきた。 現代人が信じていていたものが、一気に消えた。 絶対に安全でなければならないものが、これ以上危険極まりないものに 変化してしまった。大災害に、尊いはずの生命が消えていく。 人の命とは、いったいどういうものなのだろうか。 大自然の前では、蠅やゴキブリと何ら変わりないものなのか。 自分自身もまた、いつ事故や病気で命を落とすか分からない。 神は、全ての命を平等に扱っているのかもしれない。 雑草も虫けらも犬も牛も王様も難民もこの世に授かった命に、 上下順番はないのかも。 順番をつけているのは、人間の都合、宗教、哲学の世界なのかも しれない。大自然は、すべてに奇跡的に生命を与え そして、奪うことも何ら躊躇しないらしい。 それは、あまりにも不条理な非情な世界だ。 その繰り返しが、永遠への宇宙観なのか。 大津波は、あまりにも非情であり、人の小ささを改めて痛感させられた。 原発事故は、あまりにも人の情けなさを改めて痛感させられた。




平23年2月3日 木曜日
長い長い冬型の気圧配置が去った。昨年のゲリラ的大雪とは違い 毎日毎日、雪は降り続いた。我が家の雪下ろしは計4回になった。 雪は、人の苦しみも悲しみも関係なく降った。 そして雪が止み、青空が久々に広がった。アスファルトが顔を出した。 屋根の雪も、減った。もう雪下ろしはしなくて済む。 豪雪は、雪を悪魔にする。屋根から人が転落し、 多くの人が亡くなっている。ニュースは、日本海側を暗く報道する。 でも、雪がやみ1月を振り返ってみれば何となく懐かしく、 いとおしく決して、怨むような気にはなれない。 雪は、幸。雪は、結束力を生み忍耐力をつけ人間の限界をも 思い知らされる。大自然の底力を目の当たりにできる。 この途方もなく大量の白き友人を、自然界ではいとも簡単に 贈ってくるのだ。雪国は、幸国だ。感謝、感謝。



平22年12月30日 木曜日
未知草純情日記は、どうしても書けない。 前回更新したのは、なんと8月31日で暑い夏を話題にしたものであった。 それが、今日はもう大晦日イブになってしまっている。 今年も、ここ新潟県上越市清里夢羅にも白い季節がやってきた。 12月に入れば、話題はいつも「今年の冬はどうだいね」である。 雪の多さによって人の暮らしは、一変する。 日本海側の冬は、太陽を拝める時間が少なくなり毎日、毎日 鉛色の空を見上げなければならなくなる。 ある意味、雪よりもこの空から逃れたくて都会へと若者は流れていくの かもしれない。 ここ清里も確実に若者は、減っている。 高校生が通うバイクの音が、なくなったような気がする。 清里夏祭りの平均年齢は、50代だ。 青年が少ないということは、ここに未来はないということだ。 日本全国に吹き荒れる不景気風は、当社も例外ではない。 若い社員をここ数年入れていない。若い奴らがいない社会は、活気がない 新鮮さに欠け、どうしても後ろばかりみたくなる。 社員同士の酒飲みも、まったくなくなった。 地域も職場も話題がマンネリ化している。 管理社会に縛られて、仲間も減ってきた。 昭和が懐かしく感じられ、平成という行き場の見失った者たちが いつも下を向いて歩いている。 管は、坂本龍馬の如く日本を導いてくれるはずだったが、 これでは、肩すかしだ。 日本の舵を取るということは、そうとう難しそうだ。 ここ何代もの総理が、途中で投げ出している。 あっちをとれば、こっちがたたずの世界が延々に広がっている。 本当にこども手当は必要か。本当に公共事業は悪なのか。 本当に農業の個別補償はいるのか。 高速料金無料化は、どこに消えたのか。 トップの考え方ひとつで、国はどうにでもなりそうだ。 今地方に必要なのは、若者が定住してくれること。 この地方を再生させること。でないと、地方は次世代へ引き継ぐことは 出来ない。日本は、真ん中ばかり集中し、周りから崩壊が始まる。








平22年8月31日 火曜日
平成22年の8月が去っていく。 猛暑、酷暑の8月は、人様にはあまり好かれなかったようだ。 多数の方が、熱中症で亡くなった。 人にとっては、耐えきれない暑さなのかもしれない。 長期間の暑さが体力を奪い、確かに最近はつらいものがある。 今なら、聖水神輿もできなかったかもしれない。 大乾燥と裏腹に、日本いたるところで時折集中豪雨が起こっている。 地球は、プラスとマイナスで帳尻を合わせているとしか思われない。 一月の大雪から始まり、春の異常な雨と低温7月前半の大雨。 しかし、夏は確実に終わりやがて雨ばかりの日がくる。 人は、今を幸福だと思う能力を持ち合わせていないと 聞いたことがあった。 今年春、今年の夏は暑くなってほしいと願ったはず。 暑くなれば、こんなはずじゃなかったとくどき愚痴をこぼす。 今の地球気候にちょうどいいは、なくなった。 無くしたのは、あなたであり私だ。 今はただただ、今を慈しむだけなのだ。 大雪も長雨も酷暑も耐えて地球に謝らなければ許してもらえない。 我が家の前の県道青柳線は、冬になれば雪の壁で前は、見えなくなる。 しかし、春になればそれはなくなり夏には神輿が通りぬけてゆく。 その大自然のサイクルを大切にし、尊重し天から贈られれる全てに 感謝し生きなければならない。 暑き夏は、楽しかった。思い出の夏であった。



平22年8月11日 水曜日
すべてが終わった8日午後、いつ終わるとも尽きない慰労会が延々と 続いた。「こんな、楽しい酒飲みはない。」とだれかが言った。 まったくその通りであった。成功、失敗の判断は、役員だけでは分から ない。 当然、失敗も過ちもたくさんあったはずだ。それにも増して、喜びや 楽しさの方が多かった気がする。 祭り以上に、人と人とのいろんな想いが交差し意見し、ぶつかりあい ときに口論になるのがある意味愉しいものだ。 お互い、譲れないものを持っているからだ。 ときに妥協も必要、ときに信念を貫くのも必要。 でも、終わってみれば思い出話でもある。 笑い話で、またあの世で会おうさ!またあの世でやろうさ!と言って 酒を飲む。何とも言えない。お金では、買うことのできない、 一瞬のくつろぎのとき。まるで、夢をみているようなもう二度と 味あうことができないひと時、ありがとうございました。



平22年8月7日 土曜日
寝苦しいせいか、緊張のせいか目覚ましよりかなり早く目が覚めて しまった。 あたりは、まだ暗い。星は、数個輝いている。 どうやら、天候はまずまずのようだ。 昨年は、前日の大雨で心配な夜明けであったが、今年は、それでも少しは は安心である。午前3時、いよいよ当日を迎えた。 今日この日のために、一年やってきた。 担ぎ手も、例年になく大勢になりそうな気配だ。 ここ数日の猛暑で熱中症が、心配されるがそれは気合で勝負するしか ない。 安全に、100%はないが事務局側とすれば安全対策はおろそか にはできない。 一歩間違えば、惨事になりかねない。 現に、今年の諏訪大社の御柱祭では死亡事故もおきている。 神事と言えども事故は起こりうるのだ。 油断はできない。9年前の第1回目の聖水神輿は、途中から大雨 にたたられた。前日の猛暑から一転し、寒さとの戦いになった。 よくぞ、中止せず担ぎ通したものだ。あそこで、くじけていたら今は、 たぶんないかもしれない。第1回目は、周囲の大反対を押し切っての スタートだったからだ。ようやく10回目にたどりついた。 目標は、100回である。今でも、ばかばかしいとの声もたまに 聞こえて来る。 10回やって、この先何か、光がみえてくるのだろうか。 イベントではない、神事として世間が認める日はくるのだろうか。 それは、ピノキオが人間になりたがっていたかの如く、真の祭りとして 龍神伝説として、新たなる祭りとなる日は、ほど遠いようだ。 次なる10年目指して、今日またスタートする。坊太郎のご加護により、 無事全員笑顔でゴールできるよう、今はただ願うだけである。



平22年7月31日 土曜日
井田さんから、ハガキが届いた。 元気だったら、またサマカニ会場で乾杯しようというメッセージであった。 あれ、健康でも崩されたかなと心配していたら、思わぬ展開にビックリだった。 それは、2001年のサマカニのイベントの一つである、10年後の手紙 タイムカプセルだった。当時の実行委員長井田さんが、各役員に 送ってくれたハガキであった。2001年に新サマカニをつくり、とっても 元気あふれる頃だ。 10年目の今年は、記念大会でもある。坊ケ池は、ため池百選に選ばれた。 3000人の夢羅で、理想を追うのはときにつらい面もある。 でも、ここまでみんなの想いで支え続けきた。 10年後、それはいったいどうなっているのだろうか。 それこそ、自分は生きているのだろうか。 たかが10年されど10年。いざ、手紙を出すとなるといったい だれにだそうか。ひとつひとつ一人一人の積み重ねが、歴史をつくる。 けっして、派手ではない我が夏祭り。 井田さんからのメッセージのような、優しく、暖かく、ほのぼのとした 祭りになってほしい。10年後の後輩たちが、俺たちの夢を繋ぎ、育み 新たなる時代をつくってほしい。そんな、10年後を夢みて、 今年も坊太郎とともにこの道を歩きたい。



平22年7月5日 月曜日
季節は、知らぬ間に後半戦を迎えていた。 いつの間にか雪が消え、桜が咲き、山は芽を吹き、緑あふれる季節になり、 夏至も過ぎてしまった。 一年にわたる、大工事が今日竣工検査を終えた。 いつのときも、現場を完成させるには相当な労力を要する。 どんなに時間があっても足らない生活が春から続いた。 いつの間にか清里夏祭りが、迫っていた。 10回目の聖水神輿も記念の年になる。ひとつの山を登ると またひとつ山が見えてくる。小さな山大きな山が続いている。 果たして、登りきることはできるのだろうか。 もう少し、時間があったらとも思う。 それは、だれしも感じていることだろう。 人生の山は、はるか彼方まで続いている。 先日、一年ぶりに月下美人に出会った。 一年間、じっとその時を待つ生き方は、全く我々とは逆の 生き方にも見える。がひょとしたら、知らぬところで すごい努力をしているのかも知れない。 364日の努力と栄光の1日なのかも知れない。 真っ白な大輪は、1年に一度その姿を夜の数時間しか我々に 見せてくれない。



平22年4月3日 土曜日
4月になった。 菅原地区では、雪がなくなって日数も経った。 櫛池地区は、南斜面は消えたとはいえ北斜面では、相当ありそうだ。 今年は、3月になっても春の日差し、春の陽だまりを感じる日がなかった。 春が来たという気がしないのだ。 雪は消え、ふきのとうがでてきても春を感じたことは、なかったような 気がする。4月になっても、冷たい強風が吹き荒れる。 春と秋がなくなり、夏と冬が君臨する。 季節は、やはり狂いだしている。 山間部では、雪害も予想できる。 高田公園では、観桜会も始まった。 しかし、そんな春に浮かれた感じにはとてもなれそうなもない 今日この頃だ。雪との共存は、冬を哀し夏を喜びそして、春と秋の 恩恵に感謝する心から始まる。 エアコン依存主義では、自然との調和は保てない。 地球が泣いている。地球が怒っている。地球が悲しんでいる。 そんなことを感じさせる今年の春である。



平22年3月2日 火曜日

そうですか、清里に来られて13年ですか。 いかがでしたか、清里の13年間は。 清里村が最後に輝いていた時代でしたよね。 手前味噌になりますが、2001年に新サマーカーニバルが立ち上がり ヨサコイと太鼓と神輿ができ、祭りは大いに盛り上がりました。 その姿をいつもいつも応援して下さいまして、本当にありがとう ございました。特にヨサコイは、札幌の大舞台での活躍を、 あの人ごみの中臆することなくカメラを回しておられましたね。 新潟も寺泊も柏崎も、良い姿を映してくれました。福島天栄村の 舞姫にも会いに連れていってくれました。夏祭りは、あの暑さの中 早朝から晩までの撮影、さらにパソコンでの編集。 その心意気と記録は、清里の宝です。 ここを離れていかれても、みんなあなたのことは 忘れることはないでしょう。いつまでもお元気で、また夏祭りに 来てください。私たちの姿を見てやってください。待ってます。 その日を楽しみにしています。
本当にありがとうございました。


平22年1月29日 金曜日
雪も落ち着いた今週、地元上越タイムスに農林水産省主催の全国 「ため池百選」の記事が載っていた。 日本全国に21万あるといわれる「ため池」は、それぞれの地元の 農業用水として、古く昔からたいせつな存在だったようだ。 そして、それは単なる農業の為だけではなく、動植物たちの生息の場 であり、地元の人たちの憩いの場であり、田んぼとともに日本の 自然を守る大切な存在だったのだ。 そんなため池百選の一次選定が終わり、全国で287個所が絞りこまれた とのこと。このたび、その百選に向けての一般投票が始まった。 新潟県からは、11箇所がその候補。その中の一つに我が坊ケ池が あった。 人知れず、山奥でひっそりとたたずむその池が今、全国にその名を 轟かすことができるのか。坊太郎が住むその神秘の池は、私の命の源。 一般投票でどれだけ、百選に影響を与えるかは分からない。 聖なるその池は、今日本が忘れた何かを持っているはず。 全国にいる清里ファンのみなさま、ぜひ今回はその力を お貸し下さい。 インターネットで、だれでも簡単に投票できます。 詳しくは、”ため池百選”で検索して下さい。



平22年1月18日 月曜日
まさかの大雪に、上越中が大騒ぎの週末になった。 13日夜から14日朝にかけて1m近い雪が降った。 普段の仕事を離れ、除雪車の助手やスノーダンプが仕事の道具に なってしまった。何年か振りにバスも止まった。 青柳、赤池はどんな状態でろう。精神的に参っていないだろうか。 今日雪下ろしに行ったお宅2軒とも、若い者がいないお宅だった。 老夫婦で暮らしているお宅と84歳の老女一人暮らしの家だ。 屋根に上がっての雪かまいは、危険が伴う。 雪は、確かに暮らしには邪魔な存在だが雪はまったく知らない者同士を 結びつけてくれる。一服のお茶の時間に 婆ちゃんの若い頃の話を聞いたり、 息子が病気で亡くなった話を聞いたり、 帰るときのありがとうねの言葉が、何となく心にしみる。 車を運転していると、いつもより対向車の運転手の顔がよく見える。 道が悪いため、ゆっくり走っているせいだ。 雪は本来の人の道をなんとなく教えてくれる。 頸城野一円が、純白な世界に覆われている。 それは、まるでこの地がやさしさに包まれる神聖な地に みえてくる。



平21年12月31日 木曜日
未知草を更新できずとうとう大晦日になってしまった。 聖水神輿の日から今日まで、なんとせわしい日々であったか。 秋の紅葉の写真は、撮れず仕舞いになってしまった。 不況の嵐が吹き荒れる中、仕事だけは年々忙しくなる。 時間だけが浪費されてしまう。 政権交代で、日本中が夢をみた。がどうやらそれも叶わぬ夢、 はかない夢になりそうな気配ですらある。 所詮、幸せは他力本願ではなく、自らの力でしか掴むしかないということを 思い知らされた。 12月に入って坊ケ池に行こうとしたが、スターラインは道路復旧工事のため 通行止めでいくことができなくなった。 と言うことは今年の冬は、雪の坊ケ池の写真は無理ということだ。 楽しみが減ってしまう。昨日までの暖かさと打って変って大晦日の 今日は大荒れだ。 いったいどれくらいの雪が積もるのだろうか。 3日は、雪下ろしも想定できる。 雪の苦しみから抜け出して過疎になった。 ここで暮らす人にとっとは、雪は悪の根源だ。 通常、東戸野では三和区の倍の雪が降る。 青柳、赤池は東戸野の倍位は降る。 やはりこの差は、大きい。 雪は、このホームページの大きなテーマでもある。 ここに暮らす以上、雪が悪の根源では生きられない。 この天からの贈り物、授かりものをどうとらえるかで 幸せもおのずと見えてきそうだ。 しあわせの幸は、そう「ゆき」とも読むのだから。



平21年8月8日 土曜日
午前3時、真っ暗らな闇の中にどんよりした空がみえる。 かろうじて、雨は降っていない。 天気予報の確立は、今のところ50%である。 危機一髪の天候だ。 とりあえずは、GOのサインをだす。 先ずは、神輿の竹きりだ。 いよいよ動き出す。


平21年8月7日 金曜日
今年もついにこの日、このときがやってきた。 今日の大雨は、今年の夏を象徴するような天候であった。 何とか夕方雨があがり、無事神輿を池まで運ぶことができた。 夜再び雨の音がする。いったい明日はどうなるのか。 暑い夏がほしい。青空に入道雲そしてヒマワリは夏の定番だ。 9年目の今年も、決して楽な年ではなかった。 天候が悪ければ、条件は益々つらくなる。 無事に、坊太郎と担ぎ手を会場まで連れてくることができるのか。 明日の今頃は、おいしい酒をのんでいるか、反省で酒も飲めない 状態か。今年も、また祈らずにはいられない。 どうか、坊太郎のご加護により感動の神輿渡御ができますようにと。



平21年6月19日 金曜日
集会所の帰り道、今年はじめての蛍を見つけた。 たった一匹であったが、悠々と上空を飛びまわっていた。 ひょっとしたら、櫛池川に行けばもっといるかと思い、 暗がりを恐る恐る行ってみた。いるいる、乱舞とまでは言えないが、 それに近いものがある。 運が良かったのか、雪が少なかったせいなのか、本当に住みよい環境が 戻ってきているのか。本当のところよくわからない。 でも、うれしい限りである。一年に一度の出会いは、貴重な体験だ。 それにしても雪が多く降る地は、四季折々一日一日が一期一会の連続だ。 そんな、日本に広がる素晴らしい地がいずれ無くなろうとしている。 そう思うのは、私だけであろうか。現実に地方、特に中山間地は 若者が激減している。20年後、30年後の世界は当に想像できる。 その地に生まれた者だけで、もうその地は守り切れない時代がきた。 この美しい日本の田舎を守るシステムをいち早く作らなければ日本は、 本当に崩壊する。人が減り、蛍が復活してきたのでは悲しすぎる。



平21年5月10日 日曜日
田んぼに水が入る5月の連休初日、蛙たちが一斉に鳴き始める。 乾いた田んぼでは、蛙の存在はわからない。 乾田では、蛙は育たないと聞く。 まさに彼らは、ずっとそれを待っていたはずだ。 小雪の景況か、毛虫がやたら多い。異常発生だ。 うれしいこともある。ここ数年減ってきたシオカラトンボがもう 飛んでいる。悠々とだれに遠慮することなく。 山を彩る主役は、すでに藤に変わった。雪解けから季節がどんどん 移りゆく。この週末でくびき野は、水と緑の大田園地帯に移りかわる。 人の営みと大自然の営みが融合するこの時期は、至福のひとときだ。



平21年4月20日 月曜日
桜が散ると同時に、山々の芽吹きが始まり燕たちもやってきた。 我が家の作業所にも、ひと組の夫婦がやってきた。 昨年と同じ燕なのか、その子供なのか、まったく別の燕 なのか分かるすべもない。日本中に渡った彼らはいったいその地を どうやって選ぶのだろうか。燕が来る日は、うれしい日なのだ。 縁あって数か月生活をともにする。ヘビにやられた年もある。 今年も、無事巣立って行ってほしいものだ。



平21年4月13日 月曜日
季節の主役たちが次々と変わっていく春。 それが、楽しみでもありさびしくもあり。 春の主役は、桜かもしれないがそれも、はかない命だ。 雪どけとともに、あまりにも早い季節の移り変わりに 心はついていけない。5月病の始りかもしれない。 それにしても、暖かすぎる桜の春。異常気象という言葉が 頭をよぎる。 もう白い友人には、当分会えないだろう。 去っていくもの、生まれてくるもの。 日本中美しいこの季節、いつまでもいつまでも続いてほしいと 願っても、姫は駆け足で去っていく。 美しくも、どこかはかない春爛漫である。



平21年3月25日 水曜日
今日ようやく、一年間続けてきた現場が竣工を迎えた。 長いつらい現場であったが、無事に検査を終えることができた。 先ずは、ホッとできるひとときだ。 天気予報は、今週雪マークを予想していたが、今まさに外は雪。 屋根は白くなり、冬に逆もどりだ。 そんな中、今日三和区に朱鷺がやってきたらしい。 地元では、大騒ぎとか。上司が写真を撮ってきたらしい。 入手できたら掲載もしたいと思う。朱鷺は今は平和の使者の代名詞。 でも一昔前は、田を荒らす悪い鳥だったようだ。 それは、人間側からみた朱鷺の解釈であり、朱鷺側にたって 見てはいなかった。人間にとって不利になる者は悪、有利になるものは 善ではどこか間違っているような気もする。 そういう意味では、雪もまったく同じことが言える。 我々は、いったいどんなふるいにかけて物事をみればいいのか 正直分からない。先日の日曜日夕方、坊ヶ池の帰り道、我が家の 天空農業田にキクザキイチゲが咲いていた。さすがに天然の雪割草は ここら辺では見たことはないが、私にとっては、昨年知った 春を告げる大切な使者なのだ。そんな彼らがこの雪で心配な今夜である。 どちらも、大自然の大切な贈り物だ。


平21年3月15日 日曜日
季節が変わろうとしている。一昨日晩の大南風、そして昨晩の雪。 山は、もうどこか芽吹きを待っているようにも見える。 どうしても、会社の仕事に追われなかなか脱出できない。 春分の日が近づくとともに、回りも慌ただしくなってきた。 風邪と腰痛で10日程つらい目にあったがようやく回復の兆しだ。 やはり、忙しくなるといつの間にか体に無理をさせているのだろうか。 会社の忙しいのももう一週間程だ。年度末は、しょうがない。 どうやら今年の冬は、この程度で終わりなのか。 さすがに、雪解けの感動はまったくと言って良いほどない。 春分の日は、まさに冬と春を分ける日だったはずなのに。 それでも、農作業も始り出した。夏祭りもようやく動く気配だ。 また一年がスタートする。どんな一年になるのか、不安だらけでもある。

平21年2月8日 日曜日
いつの間にか立春から4日過ぎ、季節は冬の峠を越し春に向かっている。 と言っても今年の冬は、冬と言っていいのだろうか。 それは、ある意味誰もが望んでいた冬だったのだ。屋根の雪 おろしが無く、朝の車庫の前の除雪作業がなく、通勤に何の支障もない 冬。こんな冬があったらなぁと思い望んでいたはずの冬。確かに、 重労働がなく高齢化が進むこの地では、ありがたいことだ。 でも、こんな冬はつまらなし、さびしいし、きたない。 わがままと言えばわがままかもしれない。清里も菅原地区はとっくに 雪は消えているが、櫛池地区に入るとそれでも北斜面には雪が残り、 奥に行けば30cm程度はありそうだ。 大自然の掟に文句を言うつもりはないが、掟を我々の欲望で変えて しまったなら、最後にしっぺ返しがくるのは目に見えている。


平成21年1月4日 日曜日
あっという間に、年末年始の休暇が終わる。 いつもながら、終わってしまえば一年の内で一番つまらない日々の 様な気もする。 2009年は、どうやら自分にとっても、国や世界にとっても 今後を決める大切な年であるようだ。 どうしても、殻から抜け出せない閉塞感。オバマの言葉を借りれば チェンジの年であるが、いい意味で変わってくれればこんなにありがた いことはないが、どこかの国の首相のような痛みを伴う変革はもう こりごりだ。時代は、ますます混とんとしていくような気配すらある。 国も、目先を変えてうわべだけの政策にしか見えない。 経済が行き詰まる中、今年も時間だけが浪費されるのではないか。 長時間の拘束は、他のことが全くできず、まさにスカートの裾を 踏まれて前に出ることができない状態だ。 サラリーマンにとっても、農業にとっても、そして家庭、地域に とっても、試練の年が来たようだ。 明日から現実が待っている。 一寸先は、闇状態はいつまで続くのだろうか。 未知草も果たして続けていける自信も正直なくなってきた。 それだけ、苦しい時代が来てしまっているのだろうか。 みんな生き残りを賭け、レースがスタートする。が ゴールしたとき勝ち組、負け組共に生き残れる方法を同時に 模索していかなかれば、取り返しがつかない社会になるような気がする。


平成20年12月21日 日曜日
今日は冬至。夏至から半年がすぎ、ようやく長い長いトンネルから 抜け出すことができる。キリストが誕生した地では、12月25日はとても 大切な日であると、だいぶ前にラジオで聞いたことがある。 それは、ちょうどそのころからやはり日が伸びてくるからだと言う。 救世主の誕生と重なってまさにその日は希望の日なのである。 暗黒の季節からたとえ数秒でも日が伸びるということは、 この上にも無くうれしいことなのであろう。 お盆にホームページのファイルを無くして、ようやく復活できた かた思ったら、再び同じ過ちを犯した。原因が理解できていなかった せいだ。お盆の時は一部ファイルが残っていたが、今回は まっさらの状態からの復活になってしまった。 もう100%元に戻すことは、不可能になった。 同時に一台目のパソコンに残して置いた、大切な写真のデーターも パソコンが壊れ無くしてしまった。 デジタルの怖さでもある。会社でも、よくデーターのバックアップを しておいて下さいと言われるが、なかなか日々でそれはできない。 時代今は、ことごとくアナログからデジタルへと移りかわり、 対応できなければ、シャバに取り残されつつある。 次世代は、生まれたときからデジタルだからいいのだろうが、 昭和から平成へ移りかわってきたものは、時代に押しつぶされる 感がある。当清里でも、光ファイバーを入れようと動きだした。 時代は、それを必要としているが、それがバラ色の社会を生み出すかは 別問題である。便利になればなるほど社会は、危険性が増し、 犯罪が増える一方である。利便性と幸福感は別の次元なのだ。 携帯とパソコンは、時代の寵児の如く見えるが、そこから生まれてくる ものに果たして、人間はついていけるのか不安でもある。 自分で自分をコントロールできなくなるかもしれない。 そんな自分もここにいる。









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